22、いつもと同じ、違う時間。

 その日の夜のこと。
 一段一段、あたしは階段を上っていた。我が家の階段でも学校の怪談・・・階段でもない。早月の家の階段だ。
 他人の家とはいえ、上り慣れた階段。駆け上がることも降りることも出来るくらいに馴染んだ階段。あたしの足音が、それだけが聞こえてくる。
 あたしは、何も持たずに早月の部屋を目指す。何かを抱えたように重い気がする体を、二本の足に委ねて進む。
 いつもと同じ時間帯。早月はきっと勉強中で、しばらくこっちを向かないだろう。そう何度も言い聞かせて、一段一段上る階段。まるで噛みしめるように時間を掛けて上る階段。
 慣れたはずの階段。慣れない心境で上る階段。変な感じ。
 自然、足音も小さくなるモノで。速度も遅くなったり、するモノで。そんなことを繰り返しながら、いつもの倍以上の時間が掛かった。
 ・・・が、着いた。早月の部屋のドアの前。さて、と。そう思い、ためを息一つ付く。
「・・・」
 そんなことをしてしまったせいか、動作が滞る。ドアを見たり、ノブに手を掛けかけて止めたり。そしてその手が冷たくて、慌てて袖の中に隠してしまったり。
 ・・・何をやっているんだ、あたしは。そう思っても、どうも動作は鈍いまま。
 立ちつくす足は一歩も進まない。止まる必要のない場所に、止まったままの足。止まったままの、あたし。こんな所までやってきて。今更。
 ・・・おい? 何やってるんだよ? あたし。どうしたんだよ、あたしー。
 詰ってみる。自分を。問いかけてみる。何度も。でも、答えは出ない。体が動かない。ドアを開けられない。何故だ。躊躇えば躊躇うほど、まるで結界でも張ってあるみたいに手を伸ばすことすら出来なくなっていく。そして生まれた、知らない感情。・・・まずい。やばい。顔が強張る。
 ど・・・どうしよう・・・。
 迷いを認める。自分の中に、かつて芽生えたことのない迷い。弱くなる気持ち。
 しゅん・・・。と項垂れたあたしの視界に、見慣れない暗い視界。それはあたしの心をどんどん弱くして、小さく押しつぶしていく。密度が増して、重くなる。自分の中にある、理解しがたい面白くない感情。何だろう、これ。どうしよう・・・。
 ・・・と、もう一度思って我に返った。どうしよう? って? 何がだ! 何が「どうしよう」だ!!!?
 目を丸くして、あたしは顔を上げる。そこには、思ったよりも暗くない視界。いつもの、早月の部屋の前。 
 あたしは頭を振って、一度大きな深呼吸をした。まるで、それを頭の中から落としてしまおうとするように。ぶんぶんぶんぶん。水から出た犬みたいに、ぶんぶんぶん。
 ひたすら頭を振っていたら、眩暈を覚えて頭を抱えた。ぐわんぐわんする頭を手で支えながら虚ろに目を開いて、あたしは考える。おええ。き、気持ち悪い・・・。
 ・・・じゃなくて。何を言ってるんだ。あたしってば。ええと、だな。だから。ここまで来てどうするって、どう、どうって、あたし。何、訳の分からんことを。ボケたのか? 忘れたのか? ここに来た訳。一つしかないだろ。早月の部屋に来たんだろ。あたし。そうだろ。思い出したか? ・・・っていうか、ああ、もう良いから、入れよ。あたし。ドア開けてーっ。ほらっ。ほらーっ。ドア、開けて・・・。
「・・・」
 そうは思っても、体は動かず。意味もなく、そのドアを上下左右確認。異常ありません。大丈夫です。いつも通りです。自分に報告。受理完了。
 それなのに、やっぱり体は動かなくて。
「・・・う・・・」
 手を握りしめた。そう、思っても、どうしてか・・・動作が鈍い。鈍いだけ。やる気はある。あるぞ。ドアを開ける気は。あるけど・・・。
 ただ悴む手が・・・上手く動かない。あ、違う。そうじゃない。「悴んでるから」上手く動かない。のだ。そうだ。寒いからだ。あたしが変なのも、寒いから。ええと、だから。
 うん。そうだ。いつまでも、ここにいるのはイヤだ。何故なら寒いから。あー寒い寒い。寒いったらない。外から来たから余計に寒いっ。・・・よし、行くぞっ。行かねば凍死してしまう。だから行くぞ! 邪魔するぞ! 早月! よし、行け! あたし!!
「・・・」
 と、無理矢理思ったものの、自然勢いは無くなるモノで。
 伸ばしかけた手は、途中で減速。本当に、何か目に見えない結界とか呪いが掛かっているんじゃ無かろうか。このドア。そう思うほど、急に減速。
 ・・・。
 でも、止まりはしなかった。無事ドアノブに手を掛けたあたしは、音を立てずにそーっとドアを開けた。やっと。ようやく。「・・・やった。やれば出来る」そんなことを思う自分が、相当おかしな生き物だと思う。
 その瞬間、隙間から光が零れ落ちてくる。それを避けようとするように一瞬体を反らしたが、やがて慣れたあたしは隙間から中を覗いてみた。見えた早月の背中。いつも通り。
 置いてある物も、そこにある雰囲気も。あたしが知ってる世界。ドアの向こうは、どこまでもいつも通り。
 いつも通り、あたしを迎えてくれる。
「・・・」
 それを見ていたら、急に寂しくなってきた。こんな所にいるより、早く中に入りたい。切に、そう思う。
 取り戻したいのは、冷めてしまった体の熱じゃなくていつもの時間。望むのは早月の声とか優しさじゃなくて、いつもの対応。
 いつもの。それを、この時どんなに欲していただろう。そんなあたしは、いつものあたしじゃないくせに。
 だから余計、気が気でなかった。早月が気付いてしまったら。そう思って。あいつ、変なところで鋭いからなー。あー、やだやだ。けっ。
 あたしは思わず、ドアのこっち側で顔を顰める。それから早月の背中から顔を逸らして、一つ深呼吸。よし、行く、ぞ。行くぞっ? 意を決して、もう一度一人で「うん」。よし、行こう。そして、視線を中に戻した。早月の背中を睨む。勝負だ、早月っ!!
「・・・」
 そして結局、自分の心の叫びに真っ向から対立したあたしは、ゆっくりとドアを押した。ドアから零れてくる光が幅広く、強くなる。ひー。緊張するーっ。でも負けるもんか!!
 こっち見るなよ? 見るなよ!? 絶対気付くなよ!!? この野郎ーっ。こっち見たら、どうなるか分かってるだろうな!!?
 早月の様子を伺いながら。そう、早月の背中に殺気に似た願望をぶつけながら。メッチャ緊張しつつ、そーっと更にドアを開く。どきどきどきどき。震える手は、もどかしいと言うよりも苛立つ。でも、慎重に慎重に。そーっと、そーっと・・・お、おい!? 見るなよ!? 早月!!! 絶対こっち向くなよ!? そ、そのままでいてね。ね? ね? よ、よし。そーっと・・・そーっと・・・。あわわわわ。手が震える。ガタガタする・・・こ、こっち見ないでよー!!!??? 気付かないでくれぇー!! そう心の中で半狂乱に叫びながら、ドアをそーっと開いていく。そーっと、そーっと。
 自分で言うのも何だが、どうも、あたしは色々な意味で統一性に欠けている・・・ようだ。多分、一昨日のシーツくらい無茶苦茶。分かってるよ! 煩いな!!
 そんなこと、どうでも良い。今は、どうでも良い。指先が寒い。手も足も指先の感覚がない。移動距離は大したこと無いのに、隣なのに、こんなに冷えてしまった。それにこんな所に立ってた、から。ああ、もう! これは、きっと早月のせいなのだ。早月めっ! だから振り返るなよ!? いや、その、調子に乗り過ぎてたら、ごめんなさい。むしろ、お願い。お願いだから振り返らないで下さい。
 びくびくびく。もしも隠しカメラがあって誰かがあたしを見ていたら、生まれたての子鹿よりもグラグラしているのが見れただろう。これで音が立っていないのは奇跡である。ある意味凄い、あたし。
 そんなこんなで、やっと部屋に入る。進入成功。暖かい空気と安心で、へたり込みそうになった。
 暖かい空気。明るい部屋の中。
 早月は、振り返らなかった。







 いつも通り早月の椅子を背もたれにして、あたしは膝を抱える。いつもの場所。早月と背中合わせな事にもホッとする。ああ、やっと着いた。ここに。
 嬉しい。素直に、そう思う。
 早月がちょっと動くたび、ほんの僅かな振動が伝わってくる。本当は何も見えないし、何も分からなくて当たり前な状態。だけど。
 不思議だなぁー・・・。向き合って無くても、お互いが見えなくても、通じてる時ってあるモノだ。
 通じてる。言葉とか、向き合っているとか、そういう事じゃなくても一緒に居るだけで満たされて。それはきっと、プレゼントと対になってるモノと一緒。上げたり、貰ったり、見えないけど大切な。それと同じ。
 いつかと同じ状態。でも、いつかとは違う状態。
 心地良い。早月と背中合わせ。泣きたくなるほど、暖かい。空気じゃなくて、それは気持ち。あたしを包むモノじゃなくて、あたしの中にあるモノ。それに熱を与えてくれる、「いつもの」時間。
 いつも。ここにある。ここに、あった。そしてあたしは、それを知っていた。ちゃんと。そして今も、それはここにある。あたしはちゃんと、それを感じてる。だからこんなに暖かい。
 蹲る。あたしはしばらく、その幸せに浸ることにした。





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