19、父よ。母よ。娘は混乱中です。

 過敏? 何が?
 その日の放課後。康子ちゃんの言葉を反芻しながら、あたしは再び駅ビルにいた。
 免疫が出来たのか、ハートに目が痛くなることはなかった。ただ、暑い。取り敢えず暑い。だから、暖房効きすぎだっつーの。
 昨日はろくに見れなかったチョコを、取り敢えず見て歩く。歩きながら見ていると言った方が正確かもしれない。店員さんに声を掛けられたくなくて、足を止められなかった。ゆっくりゆっくり歩きながら、尋ちゃんの言葉を思い出す。
 何とも思ってないなら? 迷う必要がない・・・。
 そうかなぁ? と思う。だって、こんな事初めてだもん。初めての時は、誰でもみんな緊張したりするもんじゃないの? 何だって、そうじゃん・・・。
 言い訳みたいな事を思いながら、全然記憶に残らないチョコを見て歩く。一周しても、あたしの中にチョコの映像など殆ど残っていなかった。駄目だ。こんなんで選べるわけがない。全然気が入らないんだもん。こんな状態で、何を選べばいいと言うのだ。分かるわけがない。
 帰りたい。帰って、早月の部屋に行きたい・・・。
 そう思うと、ちょっと息苦しくなった。明々後日に、あたしは早月にチョコを渡すのだろうか? あの部屋で? どんな風に? そのことに、気付いてしまって。
「・・・」
 あれ・・・?
 そんなことを考えたら、泣きそうになった。どうしてか分からないけど視界が歪んでくる。
 ・・・やだ・・・。
 手に持っていたマフラーを顔まで雑に巻いて、あたしは肩を竦めて歩き出した。こんな顔、他人にも見せられない。そう思って。
 外に出る。冷たい風は頬に心地よかったけど、体を通り抜けていくようで痛かった。目を強く閉じて体に力を入れても、風は体を通り抜けていった。






 ぼんやりと、自分の勉強机に頬杖をついて宙を見ていた。瞬きも息も、自動的にしている感覚がない。気付くと息苦しくて、目が痛くて、深呼吸をして強く目を閉じる。こんな事を、さっきから何度繰り返しただろう。
「・・・」
 時計を見る。十時。お隣同士。どんなに親しくても許されても、常識的にはもうお邪魔するような時間じゃない。
 そう思って、やっと納得した。今日は、もう早月に会えない。って。もう無理だって。迷っていたことは、時間が解決してくれた。時間は偉大だ。返ってこないけど、問題を時々解決してくれる。
 早月に会いたかった。何も言ってくれなくても、こっち見てくれなくても良いから、同じ部屋にいたかった。でも、早月がこっちを見たらって思うと、行けなかった。あたし、どんな顔しちゃうか分からない。
 こんな事は、実は珍しいことでも何でもない。お互い、毎日毎日何も無い訳じゃない。殆ど毎日一緒にいるって言ったって、三百六十五日全部じゃない。それぞれの家の都合とか、友達と遊んだりとか、そう言うことがあれば、当たり前に会わないことだってある。
 そう・・・。だから土曜日は半々。日曜日は大体行かない。お互い、父親が休みで家族の用事を済ますことも多いし、あたしだって行き辛いし。こっちに用事が入ることも多いし。だから今日・・・と明日・・・うん、明日・・・も明後日も、会わない。行かない。
 早月は今、何してるんだろうー・・・。
 勉強かな? そう思いながら携帯を手に取った。なーんにも届いてませんよぅー。ていう画面。つまり、今日は行っても大丈夫だった日。何となく、メールの問い合わせをしてみる。やっぱり、何もない。やっぱり、行っても大丈夫だった日。
 早月は、来られると困る日はメールをしてくる。友達が来るから。家族で出かけるから。遅くなるから。
 あたしは行くも行かないも連絡なんかしない。連絡がなければ行ったり行かなかったり。・・・まあ、結局は大体毎日・・・随分勝手に遊びに行ってる訳で・・・。だから、今日も早月は気にしていないだろう。
 勝手なことばっかりしてきて良かった。おどけるように、そう思う。
 思いつつ、こんな変化に少しだけ気付いて欲しいと思った自分を、我が儘だと思った。
  









 翌日、家族で出掛ける。その先で寄った大型スーパーにもチョコの特設会場があった。ま、この時期、無い方が不思議なんだけどさ。
 上の階に鞄を見に行くと言って、入り口付近でお父さんが離れた。娘と母は食料品売場に直行。かごを腕に掛けながら特設会場を見上げ、「お父さんに買わなきゃ」。そんなことを言ってるお母さん。微笑ましい。
 そうか、お父さんも男だったな。あげたこと無い親不孝娘だが、この機会に買ってみよう。早月のことは、取り敢えずおいといて・・・。
「あ、これ」
 聞き覚えがあると思って、お母さんに声を掛けた。
「康子ちゃんが、これ美味しいって言ってたよ。雑誌に載ってたんだって」
 ○○ホテルの生チョコ。こんな所にもあるのか。スーパーだぞ。ホテルのチョコでしょ? 簡単に手に入るもんだなぁ。有り難みがない。そう思う。
「あら、そうなの」
「あたし、これにしよ」
「食べるの?」
「お父さんにだよ」
「あら、珍しい」
 そう言って、お母さんはチョコを物色しに再び離れていった。あたしと違って、お母さんは時間を掛けて選んでいる。本当に微笑ましい。娘はこんなだというのに。
 あたしはあっさりと会計を済ませ、頼まれた野菜やら納豆やらをかごに入れに行くことにした。チョコの入った紙袋を、預かったかごに入れて歩き出す。隣にネギが入ろうと納豆が入ろうとお構いなしだ。冷凍エビを入れようとして、紙袋に折れ目がつきそうになってしょうがない、とようやく取り出した。
 取り出して・・・気付いた。あれれれ? ・・・あれ。ちょっと待てよ。と。
 ・・・あれ。あれれれ。・・・何だ。このチョコの扱いは。○○ホテルのチョコ・・・じゃなかった。大事なのは、そっちじゃなかった。ええ、うん。そう、仮にも。仮にも、である。父親に上げるとは言っても、これは「バレンタインデーのチョコ」である。初めて買った、バレンタインチョコなのである。なのに。あたし、あんなにあっさり選んで。加えて、こんなに雑な扱い。
 ・・・どういうことだ、これ。あたし。ごめん、お父ちゃん。買っても親不孝して。
 ・・・じゃ、なくてっ。
 ぐるぐるぐるぐる。色んな記憶が巡る。目が痛かった飾り。やけに暑かった暖房。駅ビルから二度も逃げ出した後の、あの冷たかった風。泣きそうになった、訳の分からない感情。全然違うじゃん。全然。
 何これ。「何とも思ってないなら・・・」って、尋ちゃんの言った通りだ。思ってないなら、こんなに簡単なモノなのか。相手が他人じゃなければ。っていうか・・・。
 さつ・・・。
 その名前を思い出して、冬の冷凍食品売場で頬を赤くするあたしは、きっと誰が見てもおかしかっただろう。
「あんた、どうしたの?」
 不思議そうな顔をしてそう言ったお母さんが、その事実を裏付けた。
 




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