16、「あれ」を餌にすると、お隣さんが簡単に釣れます。

「お前、本当に良くからかわれるな」
「・・・」
 入室してから一時間後、やっと振り向いた早月の第一声はそれだった。
 テレビを見る気にもならず、だからといってルービックキューブなどで余計にイライラを増長させたくもないので、あたしは枕を抱きしめたままムスッとしていた。それで、主に早月の背中を睨んでいた。(無視されたど)一時間、ずっと。
 ・・・で? そのあたしに、その言葉ですか。もっと慰めの言葉とか、無いんですかー? ぶすっ。
「・・・」
「・・・」
 無いらしい。しばしの沈黙が訪れる。とは言っても。
 何とか言えよ。このやろーっ。なんて、あたしは胸中で叫び通しだったけど。ああ、煩い。煩いったらない。あたしの頭の中。くっそー。早月めっ。
「・・・」
「・・・」
「・・・何で、俺に怒ってるわけ?」
「怒ってないもん」
「・・・」
 椅子の背もたれに肘を付いて、呆れたようにあたしを見ている早月。頬を膨らませて顔を逸らすと、小さなため息が聞こえてきた。何だよー。怒ってないって言ってるでしょー? 怒ってないったら怒ってないんだから、言いがかりつけないでよーっ。
 そう思うと、余計腹が立ってきた。あたしのほっぺたは、どんどん膨らむ。餌を詰め込んだハムスター並に膨らんでいただろう。これが「怒っている顔」でなかったら何なのか。
 でも、顔と主張が完全に食い違っていることなど、あたしには関係ないのである。全然関係ないのである。言ったもん勝ちなのである。これが、マイルールなのである。早月はそれに従うべきなのである。従うべきなの!!
 だから怒ってないってば!! そう言ってんじゃん! 怒ってないって言ってんだから、怒ってないんだってば!! あたしが怒ってないって言ったら、何が何でも怒ってないんだからーっ!!
「ホントに怒ってないのかよ」
 不意に、やけに早月の声が近くで聞こえたと思ったら、ふにっとほっぺたを引っ張られた。すかっと空気が口から漏れていく。
「う・・・? ・・・たたたたたっ」
 ななななっ何すんのよーっ! 変な顔になる、変な顔になるから止めてーっ。
 と、心の中で叫んだ所で止めて貰えなかった。早月は尚、ほっぺたを引っ張りながら呆れたような顔をして言う。
「ぷくぷく、ほっぺた膨らませやがって」
「のひるのひるーっ」
「・・・」
 早月の目が、ちょっとだけ大きくなる。そして、「伸びる」と言いたいのに空気が漏れてうまく言えないあたしのほっぺたを、ようやく離して早月は笑った。何よーっ!? あたしが、どんな変な顔をしてたっていうのよー!? 笑うな! 早月めーっ! あんただけが楽しんだって、あたしは全然楽しくないっつーの!!
「う・・・ううーっ」
 と、叫びたかったが、ほっぺたが痛い。痛くて言えない。痛いよう。痛いよう。もう、何でこんなに踏んだり蹴ったり・・・。ちくしょうー・・・早月めー。何が何だか分からないけど、とにかく早月めーっ。
 でも、言えないのである。だって、ああー。ほっぺたが、ほっぺたが。本当に伸びてたらどうしよう・・・。と、本気で悩むあたし。
 その頭に、ぽこんと何かがぶつかった。あ、何だよ。何したんだよーっ。頭を押さえて見上げると、
「はい」
 と、早月があたしの頭を叩いた箱を目の間に出した。チョコの箱。しかも冬季限定。・・・美味しそうである。いや、美味しいだろう。きっと。多分。・・・間違いなく。
 それで? えええ、えと? ・・・何? これ。餌付け? これ、餌付け? もしかして餌付けされようとしてる? あたし。
 そう思いながら再び両頬を押さえ、早月を見上げた。早月は可笑しそうな顔をしてあたしを見てる。あ、絶対餌付けだ。餌付けしようとしてる。こいつ。それが丸分かりな、早月の表情。
 そう思ったけど・・・チョコは好きだ。つーか、大好きである。頬が弛みそうになって、慌てて手で押さえる。ひ、引っ掛かるもんか! 子供じゃないんだぞ。もう高校生だぞ!? 女子高生だぞ!? チョコくらいで・・・。
 と、思っても言えない。だって、言ったら絶対くれない。だからあたしは心の中で、取り敢えずの建前を叫びまくった。ふ、ふん。何さ。美味そうだけどチョコなんて。食べたいけどチョコなんて・・・っ。ううう、チョコなんてーっ。
「いらないの?」
 殺生である。間違いなく、あたしが葛藤中なのを分かっているくせにそう言って、早月はチョコを仕舞おうとした。あっ。そんなっ。何そのタイミング! 聞こえた!? 嘘っ。と思い、焦ったあたしは、
「あっ。ああああぁぁ」
 とか言って、慌てて手を出してしまう。それを見て、早月のヤツ吹き出しやがった。くっ。卑怯なり。姑息なり、早月めっ。また、ほっぺたが膨らみかける。
 が、そんなことを分からない早月は、あたしから目を逸らして立ち上がりながら言った。
「今日は砂糖抜きな」
 そう言って、ドアに向かって歩き始める。え? 砂糖抜き? あたしは首を傾げて、その背中を目で追った。そして、ピンとくる。
 あっ。お茶? お茶だっ。と思って、膨らみかけていたほっぺたがしぼんだ。ああぁぁぁ。いかんっ。早月が出て行くまでは笑わない。笑わないぞ! 弛みそうな頬を、慌てて引っ張った。いてててて。
 しかし、早月はこっちを振り向きもしないで部屋を出ていく。無理に頬を膨らませていたあたしの努力は、見事に水の泡。おい、早月ーっ。
 しかしヤツは振り返らない。呆気なくドアは閉まる。パタン。シーン。
 ・・・ぽつん。早月の部屋で、あたしは一人になった。
 ・・・ふにゃっ。その瞬間、あたしの頑張っていたほっぺたは見事にゆるゆる。元の、だらしない状態に戻った。ふー、疲れた疲れた。さて。
 手に持ったチョコに、思わずにんまり。それを頭の上まで上げてみる。
 うくく。チョコー。
 それを、小さく振ってみる。かさかさかさ。入ってる入ってる。チョコが音を立ててるよー。そしてお茶が来るー。チョコ+お茶。最高ー。言うことなーし。
 ・・・で、ちょっと嬉しくなって。
「・・・」
 慌てて部屋を見回した。一人である。誰もいない。よし。
 そう思って、枕に顔を埋めてあたしはニヤけた。へへへへへ。なんて、だらしない笑いも声も零れてしまう。
 ・・・単純だ。自分でもそう思う。単純すぎる。でも、チョコとミルクティー・・・。うくくく。その魅力には、頬を膨らませていることなど出来ないのである。
 まあ、うん。いっかー。ここら辺で勘弁してやろう。
 あたしはチョコを振りながら、そんなことを思った。





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