7、正しい日本語を使いましょう。

「うう、うーっ・・・」
 しくしくしく。あたしは泣いていた。号泣していた。肩を震わせて声を上げて、息なんか途切れ途切れで目は真っ赤。鼻は詰まるし目は痛いし。ああ、うん。自分で言うのも何だけど、本当に可愛げの無い泣き方してます。世の中の男共、これで本当にグラッとするのか? どうなんだ? おい。不思議でしょうがないんだけど。本当のことを教えてくれ。ぐしぐし。あー、ぐるじい。
「ほれ」
 そんな声と共に、あたしの目の前にティッシュが現れた。おお、ティッシュ。ご苦労。
 心の中でティッシュにだけ労いの言葉を書け、あたしはそれを一枚抜く。そして鼻をかんで、ため息を付いた。
「・・・」
 そのあたしを呆れた顔をして見ているのは、えーっと・・・お隣さんである。隣にいる人というか、隣の家の人というか。いや、ここではあたしがお隣さんか? お隣さんインお隣さんち。・・・訳が分からなくなってきた。簡潔に言うと、この部屋の主である。
 えいやっと体を伸ばしてティッシュを捨てると、あたしは再び主を見た。
「人でなし」
「・・・何だよ、いきなり。つーか、ティッシュを取ってやった人間を、お前は人でなしと呼ぶのか?」
 お前の言っていることは、いつもサッパリ意味が分からない。そんな顔をして早月は言う。
「何で泣かないのさ」
 目の前のテレビでは、カイロのCMをしている。土曜日の夜。あたしは性懲りもなく早月の部屋に上がり込み、土曜ロードショーを見ていた。勝手に部屋に入り、勝手にテレビを点け、勝手に泣いているのである。何だよ。悪いかよー!?
「お前の泣きっぷりを見ていたら腹がいっぱいになった」
「何で、あたしが早月の分まで泣かなきゃいけない訳ーっ!?」
「泣ける」「とにかく泣ける」って言ってるけど、本当かよー。なんて言っていたあたしは、結局こうして泣いている。本当だ。本当に泣けた。嘘じゃなかった。早月の分まで泣けるとは。ちくしょう、早月め。
「知るか」
 しかし早月はこの怒りに気付きもせず、そう言って部屋を出ていく。あ、何だ。この野郎。逃げるのかっ!? と、口には出さなかったがそう思いながら、あたしはその後ろ姿を憎々しげに睨んだ。
 ・・・が、目が乾いて仕方なかったのでそれも長くは続かず。あたしは、呻き声を洩らして目をつぶる。痛い。いたーい。ごしごし擦る。あー、まずい。明日は目が腫れそうだ。休みで良かった。うん。日頃の行いのお陰だ。良いぞ、あたし。やるな、あたし。・・・いや、そんなことよりもー。
 ごしごしごしごし。遠慮なく目を擦ってから「ふぃー」と、ため息を付いた。
 全く、本当に人でなしだ。ヤツは。けっ。
 もう一回鼻をかみながら、自分に言い聞かせるように何度もそう思う。唱えていると言っても良い。人でなし人でなし人でなし。ひ、と、で、な、しーっ。キングオブ人でなし。この映画で泣けないなんて、あいつの心臓には毛が生えているに違いない。
 ・・・ん? ・・・あれ? 心臓に毛が生えてる? どういう意味だっけ? この表現は、当たっているのか? うーむ。
 一瞬迷いが生じる。が、目の痛みに思考能力が低下しているようなので、考えるのをさっさと放棄した。
 まあ良いや。取り敢えず、人でなしには間違いない。人でなしー。人でなしー。人でなしったら人でなしー。人でなし、ああ人でなし、人でなし。・・・ふー、このくらいで勘弁してやるか。
 心の中でだが、言うだけ言って気が済んだ。そして思い出す。えっと、一回目のCMだったな。と。早月が隣でテレビを見始めた時間。
 そう、ヤツは最初から見ていなかった。だからなのか? 開始十五分を見てなかったから泣かなかったのか? 宿題なんぞしているからだ。ふんだ。つまらない男。人でなしで、つまらない男か。最悪だ。
「ほれ」
「ん?」
 ティッシュの登場の時と同じ声がして、今度は濡れたタオルが現れた。中にはアイスノンが挟まれている。何だ、人でなしで、つまらない男。いつの間に帰ってきたんだ。
 ・・・と言いたかったが、ここは早月の部屋であり、アイスノンを持ってきてくれたのだし、まあ勘弁してやるか。そう思い直した謙虚なあたしは、今度はちゃんとお礼の言葉を言った。
「・・・ありがと・・・」
 偉いぞ、あたし。自分を誉めつつ、受け取って瞼に当てる。うう、冷たい。何で真冬にアイスノンなんだ。ちぇっ。
 そう思って顔を顰めたあたしに、早月は言った。
「我慢するの」
「・・・だって冷たい」
「いいから」
「・・・」
 何だ、その冷たい言い方は。
 ぷー。と、ほっぺたを膨らませたあたしに、また早月は言う。
「お前がなぁ。そうやって泣くと」
 早月は大きなため息を付きながら、再びあたしの隣に座る。
「また母さんに殴られるんじゃないかと思うわけ」
「殴られろ」
「・・・」
 ぷつっ。
 早月は、黙ってテレビを消した。あっと言う間の出来事だった。
「あっ」
 と言ったモノの、目が点のあたしは何が起こったのか分からず、テレビを指さして早月を見る。ヤツの手にリモコンなるモノが握られているのを見て、やっとじたばたと手足を動かした。
「ひ、ひどっ。非道いよーっ。最後の一番良いところが残ってるのにっ! 今、最高潮なのにっ!」
「持ち主に『殴られろ』とか言うヤツに、見る資格なし」
 早月は右手であたしの頭を押さえて、左手に持ったリモコンを高く上げた。あたしの手は見事に空振りだ。スカッスカッ。いやっ。いやーっ。
「わかっ。分かった! ちゃんと冷やすから! リモコン!! リモコン!! リモートコントローラープリーズ!!」
「・・・ったく」
 早月は舌打ちをしてから、あたしにリモコンをくれる。慌てて点けると、丁度始まったところだった。目の前を行き交う車。クラクションの音とかが遠ざかっていって、無音になる。
 ・・・そうそう。道路の向こう側に我が子を見付けるんだ。お母さんが・・・。
「・・・ううっ」
 ぼろぼろっ。あたしの目からは再び大粒の涙がこぼれ落ちた。見事だ。見事な泣きっぷりだ。あたし。
「・・・」
 早月はさっきみたいに呆れた顔していたが、あたしは完全に無視した。


 そう言えば、と思う。
 この間も、ここで大泣きをしたんだぁ。あたし。別に感動したわけではなく、怒っていたはずなのに急に気が弛んで。早月の顔を見ていたら、急に胸がきゅってなって。
 ・・・あれは、何だったんだろうなぁ?
 そんなことをふと思い出したが、画面の中で親子が抱き合っている姿を見たら、途端にどうでも良くなってしまった、あたしであった。





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