1、彼女は叫んだ。「馬鹿野郎!」と。

早月(さつき)の馬鹿ー! 大馬鹿野郎ー!!」
 あたしはそう叫んで、枕を「ヤツ」に投げつけた。
「!!!???」
 一方、(自分の)枕を投げつけられた早月は椅子に座っている為、あたしを見上げている。埃になのか風になのか、それともあたしの剣幕になのか、何度かぱちぱちと瞬きをして、目をまん丸にして。受け止めた枕を抱いたまま。
「・・・何?」
 それが、彼の発せられる唯一の言葉だったんだろう。それ以外の言葉は、待っていても出てこない。
「『何?』だぁ?」
「・・・???」
 わなわなと震えるあたしの拳を見て、彼はちょっとだけ頬を引きつらせた。そう。分かるよね? あんたは一応、生まれてすぐくらいから「あたし」との付き合いが有るんだから。
 分かるわよね。小さい頃、いっつもあんたには言葉でも力でも勝てなかったあたしが、泣いて無茶苦茶になると大人でも手が着けられないくらいに暴れて物凄い力を発揮したもんね!?
「あんたって男は・・・っ」
 あたしはこれ見よがしに、その拳を上げる。明らかにヤツの顔色は引いた。
 その素直な反応に、僅か満足をしてしまった自分が恨めしい。怒りが一瞬消え失せ、代わりにきゅっと締め付けられるような感情がどっと押し寄せてくる。なんて言う感情かはちょっと分からないんだけど、まあ弛んでしまったのだろう。気持ちが。それ以外には考えられない。だって、泣く必要なんか何処にもないのだから。
「・・・う・・・」
 ぼろぼろっと、頬を伝っていく涙が顎から落ちていく。くく・・・悔しい。止まれ、涙! あたしは慌ててそれを袖で乱暴に拭ったけど、切れた息と弛んでしまった涙腺は元に戻ってはくれなかった。何よ。こんな所見られたら、怒りに来たのに逆効果じゃないか。しっかりせいよ。あたしってば。
「・・・ううー・・・っ」
 そう自分を詰ってみても、この水は噴き出したら止まりゃしない。笑うのを堪えようと、悲しいこととか怖いことを考えても全然効果がないのと一緒だ。
 しっかしまあ。可愛げのない泣き方。自分で言うのも何だが、こんなのが女の武器になるのか? と思ってしまう。嘘だろ。こんな所を見せられて、ぐっと来る男なんか居るわけがない。
「・・・???」
 開きづらい瞼の向こう側に、まだ目を丸くしたままの早月がいる。ほら見ろ。呆然としちゃって、むしろ珍獣を見てるような目・・・。
「って、誰が珍獣だー!!」
「!?」
 枕を抱きしめたままの早月は、その言葉に肩を強ばらせた。むかつく。何よ。なに驚いてんのよ!? 誰のせいで、あたしがこんな顔になってると思ってんのよ!! みんな、あんたのせい! あんたのせいなんだからね!! そんなあんたに、あたしを珍獣扱いする資格があると思ってんの!? ある訳無いでしょーが!!
「この人でなし!! ば・・・ひと・・・ふざけんなー!!」
「人でなし」の後「馬鹿」と言おうとして、さっき言ったことを思い出した。で、再び「人でなし」と言おうとして、これも駄目だっ! と思い、最終的に「ふざけんな」になった次第。ちなみに最後のは、悪口もろくに言えんのか! の、「(あたしの口)ふざけんなー!」である。
 ぽかん、と口を半開きにした早月が、むかついた反面羨ましくなった。こいつなら言いたいことを、すらすらと淀みなく言葉に出来るに違いない。こんなに怒っていることを、「もう許して下さい」って言わせるくらいぶつけることも、延々説くこともできるだろう。
 あああぁ、羨ま・・・むかつくー!!
「うわあぁぁぁあん!」
 悲しくなってきて、今度は間違いなく号泣。世の中の男ども、これでもか? これでも「泣き顔にクラクラ」とか、出来んのか!? ばっかじゃないの!?
 早月に対する悪口じゃなく、自分へとか世間一般の男にならこんなに言いたいこと言えんのに。
 早月には言えない。この男、弱点とか汚点が少なすぎる。しかも、その弱点や汚点すら口にしたら、五倍返しを食らうことは必至だ。何故なら、それ以上にあたしは弱点や汚点まみれだから。くそう、人生やり直してぇ。でも、やり直しても結局同じか。こいつに追いつける気は、やる前から諦める程度に開いている。そんな人生の不公平、ありっすか? 神様!
「くやっ悔しいーっ」
 で、あたしは逃げた。
 負ける前に逃げれば負けじゃないだろ。これが、あたしの座右の銘である。早月と同時期に生まれてきた時から、多分座右の銘である。人生そのものと言っても良いかもしれない。あああぁぁ。早月のせいで早月のせいでーっ!
 とにかく逃げろ。逃げ=負け。ではない。逃げ、は保留だ。保留なのだ!! うっせぇ、黙れ! あたしが保留って言ったら保留なのだ! 大体、早月は「何?」以外に何も言ってないのに、何故あたしが負ける!? 敗因を言えるもんなら言ってみろ!
「何?」しか言ってないのに、こんなに泣かされていることには目をつぶれ! つぶれないなら、あたしが潰してやる! さぁ。どっからでも、かかってこいやー!
「? 美優(みゆ)ちゃん?」
 階段を降りきったところにあるリビングのドアから、おばさん(早月のお母さん)が顔を出してあたしを呼んだ。でも、あたしは顔を見せられなくて、ついでに勢いがつきすぎて止まれなくて、そのまま玄関を飛び出してしまう。
 しかし、おばさんに罪はない。だから、取り敢えず叫んだ。
「お、お邪魔しましたぁ!」
 親しき仲にも礼儀あり。他人の部屋に勝手に入って、他人の枕を勝手に投げつけたことはまあ、おいておく。
 それにしても、あー、まずった。不完全燃焼。いかんいかん。ちゃんと言うことを予習してからじゃないと。
 そんなことを考えながら隣である実家に帰る途中、バタバタバタッっていう階段を上る音の後、バンッ! というドアがとれそうな音がして「あんた、美優ちゃんになにしたのー!!??」というおばさんの声が聞こえた気がしたが、それはあくまで気のせいなのでこの時は気にしないことにした。





 つーか、忘れていた。
「てめぇ、ちょっと顔貸せや」
 翌日、昼休み。お腹いっぱいでウトウトしかけていたら机をバンッと叩かれて、見上げたら早月がいて、物凄い形相でにらまれた。
 ・・・が、口の端に絆創膏が貼ってあって一体何がヤツに起こったのかと思ったら、睨まれたことなど吹っ飛んだ。
 ・・・てな、状態になるまでは。





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