30、お隣さんの、お返し。

 三月の某日。日中、日の射す時間帯は日に日に暖かさを増し、人の心すら解していくような気持ちの良い一日。桜の蕾は膨らみ、春を祝福するその時を、今か今かと待っている。

「うー・・・ううう・・・」
 うぐうぐうぐ。ぐずぐずぐず。
 その気持ちの良い、春の日曜日。時は、お昼過ぎ。
 美優は号泣していた。しかも、ここはショッピングモールの中。つまり、外。もうあらゆる意味で、明らかに穏やかじゃない状況。
「うー・・・くすん」
 彼女はお隣さんの腕にしがみついたまま、ヨロヨロ歩きつつ目を擦っている。
 そう。彼女は一人ではなかった。端から見れば、その立場には色々な言葉を当てはめられてしまうものの、現状「お隣さん」である彼が、ちゃんと今日も隣にいるのである。
 そのお隣さんを見て、早月はがっくり疲れたような表情でため息を付いた。人に注目されるのも。美優が蹌踉けるからと手を引いたらしがみついてきて、それを見られるのも。
 別に照れはしないが、やっぱり見られるのは気分の良い物じゃない。でも、しょうがない。どうしようもないから。
 晴れた空を見上げて思い出す。明らかに選択ミスをしたな、と思いながら。



 それは昨日、の夜から始まった。珍しく土曜日の夜に一緒に居た二人。
 話していたのは「バレンタインの、お返し」の話。どこに出掛けたいかという、あの話である。
 大分前から言っていたのに、結局こんなギリギリになって美優はこう言った。
「水族館」「遊園地」「テーマパーク」「映画」「買い物もいいなぁ」「えっとーそれからねぇ・・・」
 それに対して、早月は言った。
「へぇー」「ふーん」「・・・そう・・・」「・・・」「・・・」「・・・で? お前は、それを全部こなせると思っているのか?」
 そんな呆れた口調の早月に、口を尖らせた美優は「だってー・・・」と呟く。「いっぱい行きたいところがあるんだもん」とも。
「で? 結局、明日はどこへも行かない。と」
「え?」
 別に良いんですけどね。俺は。と半分本気で遠い目をした早月の言葉に、美優は一瞬キョトンと目を丸くした。
「や、やや、やだー! それはやだー!」
 そして理解するや否や、騒ぎ出す。相変わらずとろい反応。いつまで経っても成長しないなぁと、それにもため息を付きながら、早月は呟くように言った。
「だったら、もっと現実的に考えろ」
「考えてるじゃん! 別に外国行きたいって行ってるんじゃないんだよー?」
「そんな極端な例を出しても駄目。全然駄目」
「・・・うぐ」
 こんな不毛な会話が交わされた昨日。そして結局「映画以外はいつでも行けるから映画にするー」という結論に達した美優。そんな理由で決まるなら、こんな不毛なやりとりはカットして、ちゃんと一人で決めてきなさいと思ったものの、結局何も言わなかった早月。
 まあ、何にしても決まって良かった。そう思い、「じゃあ、明日」と手を振って別れた二人。
 それが、今現在こうなっている。

「取り敢えずー・・・お前、ここで休んでろ。何か飲むもの買ってきてやるから」
 日曜の昼は、人でごった返している。その中を意味もなく歩いていても仕方がない。泣いてるし。と、ベンチの前で足を止め、早月が言った。そして顔を覗き込むと、美優はこくこく頷いて早月の腕から手を離す。その目は今も潤んで、涙が零れていた。
「・・・どうでもいいけど、あんまり擦るなよ。明日腫れるぞ」
「うん・・・」
 また何度も頷いて、美優は大きな深呼吸をしてから椅子に座った。
 全く・・・もう。
 そう思ってから早月は美優に背を向けた。



「何が見たいの?」
 待ち合わせは当然、家の前。他に、どこがあるというのか。という感覚である。よって、時間だけを決めて場所の場の字も出なかったのは言うまでもない。
 歩き始めて、早月はそう言った。
 明るい時間、しかも外。お互いに何だか変な感じ、と思いつつも、そんなことに戸惑うこともない二人。
「あのね、あのねぇ」
 美優は早くもご機嫌である。そして、映画のタイトルを口にした。

 あの時から嫌な予感はしてたんだよなぁ・・・。
 そう。思い起こせば、僅か数時間前のこと。ここまでの道のりは全て予想通り。となれば、やっぱり顔を顰めざるを得ない。でも、分かっていたからといって、それを拒むことが出来ただろうか? 出来るわけがない。今日は美優が行きたいところに行くと約束したのだから。
 だから・・・結局、諦め以外に出来ることはないのだ。そう思ったら顔を顰めているのすら無意味に思えてきて、早月は早々平常心。ため息を付くのも止めて顎を僅かに上げた。いい天気だ。綺麗な水色の空には、透き通るように薄い雲が一つ、二つ。ただ、ただ、見上げているだけで気持ちの良い、高い空。
 それにしても、相変わらず子供向けのゲームより単純な彼女。たまには裏切って欲しいモノである。幾ら心が広い・・・ある意味人生を達観しているといっても、仙人でも神様何でもないただの高校生の早月は、それを見ながら上の空でそんなことを思った。
「あ、早月ー・・・」
 すると後ろから、いつもよりも五割くらい小さな美優の声が聞こえた。
「?」
 しかしそれを逃すことなく早月は拾い、そして振り返る。
 その早月に、美優はらしくないお願いをした。両手を合わせて、涙目で見上げるように早月を見て、小さな声でこう呟く。
「あのー・・・あ、甘くないのが良い。緑茶ー」
「・・・緑茶?」
 聞き慣れない彼女の言葉。甘いの大好きなくせに。
「・・・? 分かった」
 しかし不思議に思いながらも、それをそのまま飲み込んだ。ま、彼女だって気分で飲みたいものが変わるのは当然。そうとすら思わず受け入れて。



「ほら」
 小さいペットボトルの緑茶を渡して、早月はその隣に座る。
「ありがとー・・・」
 いい加減、涙は収まったらしい。美優は、ちょっとだけ赤い目を擦ってから緑茶を飲んだ。派手に泣いて喉が渇いていたらしい。良い飲みっぷりを披露。
「・・・はぁー・・・」
 そして満足げに大きなため息を付いてから、やっといつもと同じ音量で言った。
「早月ー」
「ん?」
 振り返り、目が合った早月に美優は照れたように笑う。そして肩を竦めてこう言った。
「今度から、泣ける映画は早月んちで見ることにしたー・・・」
「・・・はい。そうして下さい」
 あー。良かった。気付いた。
 そう思いながら、早月は大きく頷いた。そして、こうやって間違いとか経験を重ねて子供は大人になっていくんだなぁー。とか、父親の心境になったりしたりして。そんな感情故、彼女を寛大に許せる似非お父さん。
 結局、ね。お隣さんてやつは、微妙な関係なんです。・・・こと、この二人に限っては。




「・・・で? 次は?」
「次?」
 見事に全部飲み干し、それを捨てている美優が振り返った。きょとん。としている。「え? 何?」みたいな心の声。良く分かる。だって、良くするから。この表情。
「もう帰る?」
「かえ? ・・・がーん。な、何てこと言うのー? ちょっと待ってよーっ」
 早月の一言にギョッとしてから、美優はバタバタし始めた。ああ、煩い。泣いているのも困りものだが、いつも通りごねられても困りますな。特に外だから。思うがまま、からかうことも今は出来ません。いや。これは参った。迂闊。お父さん。
「分かった。分かった。だから、これからどうするか聞いているの」
 まぁまぁ。分かったから落ち着きなさい。と、声に気持ちを込めてそう言うと、美優は大人しく静まる。
「う・・・うむ」
 そして頷いたのか唸ったのか分からない表情でそう言うと、腕を組んで僅か俯いた。
「んー・・・どうしようかな・・・」
 そんなことを言う美優は、分かってない。本当に分かってない。数年一緒に居ても、早月がからかいたくなるタイミング。
「えっとー・・・うーん。思い付かないなぁ・・・」
 ほら、こんな事言うから。
「じゃ、帰ろうか」
 と言われてしまうこととか、さ。
「待ってーっ」
 その言葉に、美優は必死で早月の腕を掴んで嫌々をする。そして、どこでも良いからとにかく進め! の勢いで、腕を引っ張り歩き始めた。
「ど、どこ行くのさ」
 その必死の形相が可笑しくて、早月は不覚にも笑いながら言う。けれど美優は、まだまだ必死だ。その声の変化に気付かない。尚も早月の腕を引っ張り続けながら叫ぶ。
「どっか!」
「ど、どっか?」
「とにかく、まだ帰らないのー!!」
 本当に帰るつもりなど早月にもないのに、美優は泣きそうな声で叫ぶ。


 まあ、そんなこんなですが。「お返し」は始まったばかりです。





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