氷ミルクティー。

「あづいよー。あづいよー」
 ぶつぶつぶつ。背もたれの向こうから、延々その言葉が聞こえてくる。
「うぁー。もう、あづいー」
 ぱたぱたぱたぱた。そう言いながら、うちわで頑張ってる音も聞こえてきた。その後、暫し無言のお隣さん。一生懸命扇ぐ、ぱたぱたぱたぱた。と、忙しない音だけが聞こえてくる。
 そして、ぴたりと止む、うちわの音。やがて、ぜえぜえと息切れが聞こえてきた。小さな「うへぇー」という悲鳴(?)も部屋の中にフラフラと舞って、落ちていく。
 実はさっきから、これの繰り返し。うちわで扇いでは息切れして「自ら暑さを煽る」事を繰り返しているお隣さん。何をやっているんだか。と、アホらしくて声を掛ける気にもならない、そのお隣さん。シャーペンの芯を出しながら、小さなため息を付いた。
 早月は今日も勉強中。開け放した正面の窓から割合に涼しい風が入ってきていて、おまけに誰かさんみたいな「愚行」もしていないので暑いなぁと思いつつも、まだ我慢出来ていた次第。
 その、お隣さんの部屋なので。そして勉強していて、こっちを向いてくれないので。クーラー付けたいと思っても出来ないそのお隣さん、美優。いつも通り、背中合わせて小さくなっている。性懲りもなく入り浸っている、夏のある一日。
 多分。・・・時々。こっちを情けない顔で見てるんだろうなぁと思いながら、早月は見て見ぬ振りをしていた。可哀想だと思っても、今はまだ自分の身が可愛い。自分の方が優先なのである。つまり、勉強。彼女みたく暑いと思い始めると集中力もなくなる。構えば止まらなくなるだろうし。だから無視無視。もう、ちょっとで終わるし。大体、ほら。こっちに助けを求めてるとも限らないし。うん。
 ・・・なんて、そんなわけもなく。美優は「さっきから、ずっと」情けない顔で早月の背中を見上げていた。何度も声を掛けようとして、止めて、掛けようとして、止めて。その合間に「あづい」って呟いたり、うちわで頑張ってみたりして結局、余計暑くなったりしているのである。
 声を掛けてしまえばいい。一言「クーラー付けても良い?」って聞けばいい。それで全ては解決するはずだ。少なくとも、こうして情けない顔を上げていなくて済む。
 でも早月勉強中だし、邪魔したくないし、何よりも「だったら帰れば?」って言われるのが嫌だ。早月が涼しい顔をしているだけに、そう言われても言い返せないと思う。だから言えない。うううう。
 あー。でも、限界ー。暑いよー。
 ぱたぱたぱたぱた。再び、ぱたぱたぱたぱた。「うーーー」と、唸りながら必死で、ぱたぱた。そして犬のように「ぜーはー」しても、事態は何も変わりはしない。
 そして尚も、ぱたぱたぱたぱた・・・うっ。腕がー。とか、無言で泣きそうになっていても早月は気付いてくれない。暑さにイライラして、こっそりジタバタしても気付かない。いや、正確に言えば無視。そしてやがて、もう駄目だー。と、蹲って動かなくなっても、やっぱり振り返ってくれなかった。
 その背中を見て、いっそ殺せー。などと思う。それくらいに暑い。どうして一人で、こんなに暑いんだろう。そう思いながらうちわを手に取りかけて、やっと「これのせいか」と、気付いた。二、三度扇ぎかけ、泣きそうな顔をしてそれを床に置く。そして「お前にはもう頼らないっ」とか思いながらブンブン首を振った。それが暑さを増す愚行だと知ったのは数秒後。クラクラする頭を抱えて小さなため息。早月を見上げても、やっぱりこっちを向いてくれる気配は皆無だ。寂しいよう。暑いようー。と、視線を送ってもやっぱり振り返ってはくれないお隣さん。ううう。泣きそう。
 こうなったら、しょうがない。とばかりに、藁にも縋る思いで、持ってきた雑誌に、ほっぺたをくっつけた。ちょっと冷たい。はぁー。・・・などとやっている自分は、おかしいと思いつつも止められない。情けないけどしょうがない。はぁー。
「・・・」
 それを、ちょうど勉強が終わった早月が頭を抱えてみているとは知らず。美優は今度は、おでこにくっつけて大きなため息を付いた。あー。あづい。
「・・・ほれ」
 その呟きを聞いて。あまりに悲しくなって。
 情けなくもなって、机の上にあったクーラーのリモコンで美優の頭を叩く。そして不思議そうな顔がぱっと笑顔になったのを見ながら、早月は言った。
「あんまり設定低くするなよ」
 そう言いながら、立ち上がる。確かに暑い。勉強から気持ちが離れて、そう思った。
 そう思うと喉も渇いた。疲れにため息を付いた早月の足下で、美優は一人ご機嫌にリモコンを弄ってる。
「分かったー」
 うきうきうき。流れてくる冷風に、美優は喜びを隠しきれない模様。だったら来なきゃ良いのに。
 そう思いつつ、それでもここに来るお隣さんを止められるはずもなく。それに暑いと言いつつ頑張っていたのも分かっているので、早月はお茶を入れて上げるべく下に向かった。



「わーい。お茶お茶っ」
 ドアを開けると、暑い空気と混ざり始めた冷風が僅かに頬を撫でた。何だかんだ言って、やっぱり冷風にホッとする気持ちの早月の視線の先で、美優は万歳。完全に生き返った模様。現金ていうか、簡単ていうか。
「はい」
「わーい。ありが・・・うん?」
 受け取り掛けて、美優は止まる。そして、それをマジマジと覗き込んだ。
「んん? 何これ」
 ぐりぐり。浅く、直径の広いコップに刺さっていた銀色の棒で遊びながら、早月を見上げる。
 たしかに、ミルクティ。・・・らしき色。でも、違う。いつもと違う。いつもは沢山の氷と、ゆらゆら揺れるミルクティ。今日の、何か違う。シャクシャクしてる。
「昨日の、ちょっと余ったから」
 それは、昨日もお邪魔した美優が飲む為に作ったミルクティーの事である。ミルクが中途半端に残っていたから、全部入れたらやっぱり多かったのだ。
「???」
 それを受け取り、「うわぁー。冷たいーっ」と、ほっぺたに押し当ててから、美優は刺さっていたスプーンを取った。そして、それをかき混ぜているうちに、それが何か分かったらしい。「おおおー」とか呟きつつ、スプーンで掬う。そして早月の顔を見て、笑いそうになるのを堪えるように肩を竦めてから、ミルクティーのシャーベットをパクリ。
「・・・」
 ううう・・・。と唸りながら、モゴモゴ。美優は、ぎゅーっっと体に力を入れている。冷たい物を食べているはずなのに、その頬がほんのり染まったのは気のせいだろうか?
 そして飲み込んでから、満面の笑みで早月を見上げた。
「うんまぁーーーい!」
 冷たいー。ブラボー! ハラショー!! と、多分意味も分からない言葉で絶賛。何に勝利したつもりなのか、一人で万歳までしている。
「・・・あ、そう」
 そこまで喜ばれても、勿体ないと思って氷らせただけの(とか言いつつ何気に、氷りかけをかき混ぜたりしたマメな男である)早月は複雑。「・・・それは良かったねぇ」と、呟いて隣に座る。
「うん。最高ー。ううぅーっ。たまらないっすー!!」
 それを見て。
 ああ、またクーラーの付いてない部屋でも通っちゃうんだろうな、この子。なんて思ったりして。その内、飴を上げるからおいでって言った、どっかのおじさんに誘拐されないかと心配になるお隣さん。
「また作ってっ。作ってーっ」
 そんな心中を無視して、美優は早月の膝を揺らしてねだる。あんまり嬉しそうで、物凄い笑顔でそんなことを言うから。
「でもそれ、ちょっと甘めにしてあるから、そればっか食ってると太るぞ」
 と、ちょっと意地悪。多少、面倒臭いという気持ちがあったことも否めない。 
 しかし夏である。そして冷たい、美味い。この条件が揃った食べ物を前に、いつもだったら「うっ」とか言いながら一旦停止する美優は、そんな言葉に怯む気配ゼロ。
「たまにで良いから。良いからーっ」
 スプーンをブンブンしながらねだる彼女。余り物って言ったのに。それなのに。そう思うと、これ以上嫌味もからかう気も起きなくて。
「・・・また、余ったらな」
 と言いつつ、多分この夏はこれを作らされるんだろうな。と、自分の未来を割合正確に、そして大人しく受け止める早月であった。





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