二人の仲、今のところ。

 その日は、何もかもが昨日と同じだった。
 いつものように、お隣さんは言葉なくとも部屋に居て。
 いつものように、お隣さんの邪魔をしないようちょこちょこ一人で遊びながら。
 いつものように、お隣さんが振り向いた瞬間は遊び道具を与えられた子犬のような無邪気さを見せて。
 いつものように、お隣さんとお隣さんの日課が始まる。


 いつもと同じ、二人の優しく緩やかな時間。
 毎日毎日、飽きもせずに彼女は彼にじゃれつきます。
 それは本当にくだらない小さなことから、本当に些細な小さいことまで。ええ、重要なお話なんてありません。彼女の話題はいつも突拍子で、そのくせどうしようもないほどにどうでもいい話が多いのです。
 けれども今日は、ちょっとだけいつもとは違うようで―――



「ん? んんんー」
 いつもの時間、いつもの場所。
 もはや説明無用とばかりに早月の部屋に訪れた美優は、今日も今日とて早月に遊んでもらっていた。
 そう、「遊んでもらっている」のである。彼女と彼の日課を表現するのに、これ以上の説明が必要だろうか。
 彼女は花も恥らう17歳。そんな彼女のお隣さんも、17歳。
 お隣さんと、お隣さん。二人の仲は、家の距離と同じくらい。もしかしたらもっと近いかも? いえいえ、それはちょっとだけ微妙なトコロ。
 お隣さんの、お隣さん。早月は美優の癖を知っている。嫌というほど知り尽くしている。それは知りたくて身に付いたわけではないけれど、とにかくある程度のことは彼女を見てればすぐ分かる。
 だってほら、分かりやすすぎるんだよね。
 会話の途中、何度も首を傾げながら時折ぶるぶると雨に濡れた子犬みたいな動作を繰り返してれば、ふつー誰だって気がつきます。
「どうした?」
 だから今日もこの日も今回も、早月は美優の異変になんとなく気がついた。
 どうせいつもの、どうしようもなく、くだらないことだと思いながら。
「うん。なんかこー、耳の中がむずむずして」
 結果的に、それは確かにどうしようもなく、くだらなかった。
「……耳、つまってんじゃないのか?」
 とるに足らない、些細な事件だった。だから早月はやれやれと肩を竦める。
「うぅぅん、そうなのかなー。なんか変な感じ……」
 美優は何度も首をふる。少し気持ち悪そうに顔をしかめている。
 さてさて、娘がいやな目にあっていれば、それをなんとかしたいと思うのが親心というもの。勿論二人は親子なんかじゃありませんが、否定するのも難しかったりするのです。
「耳かき貸そうか」
「……う。い、いいよー! 別になんともないし!」
 慌てて両手をぱたぱた左右にお隣さん。その挙動不審を見抜けないほど、早月は付き合い短くありません。
 一瞬にして、ははぁんと真実に到達しました。
 な、なにさー!?と構えるお隣さんに、容赦ない一言。
「……もしかしてお前、自分で耳掃除できないのか?」
 かちんと固まるお隣さん。図星も図星。珍しくない光景です。
「う、ううう……だ、だってしょーがないじゃん! 見えないし、奥当てたらやだなーって不安だし、慣れてないとすっごい難しいんだぞー!」
 それからがおーっとばかりにまくし立てるお隣さん。珍しくない光景です。
 特に珍しくないので、早月はいつものように呆れ混じりのため息ひとつ。
「それで、いつもはどうしてるんだよ?」
「お、おかーさんにやってもらってる」
 お前は子供か、とは言いません。人は当たり前のことを口には出さないのです。ペンを指差して「あれはペンです」なんて言わないでしょ?
「ううう、きもちわるいー」
 ゆっさゆっさと首を振りながら、何かと戦ってるらしいお隣さん。
 そんなことしたって、どうにかなるはずないのに。ヤジロベーかお前は。
 やれやれ、ともう一度早月はため息。
 ――さてさて、娘がいやな目にあっていれば、それをなんとかしたいと思うのが親心というもの。結局、最後は彼が妥協してお話は進むのである。
「……わかったよ。耳かきとってくる」
 そんなわけで。史上最大のプロジェクトX、お隣さんの耳かきが始まる。


「い、いいよー! そんなの! 早月に悪いし」
 ぶんぶんと首と両手を左右に振りながら、最後まで抵抗の意を示していた美優も早月の言葉一つでしょんぼり承諾。まだまだ、子は親には勝てません。
 別に早月だってやりたくてやってるわけではないし、他の同年代の子が相手なら頼まれたってやらないのは当たり前。
 けれど相手がこの美優なら、「しょうがない」で済んでしまう。
 似たもの同士のお隣さん。それはふたりの、ふたりなりの想い故。
 ふたりだけの、答えだから。
「ほれ」
 ベッドの端に腰掛け、ひょいひょいと早月は手招きする。
 けれど美優は、枕を抱きしめたまま渋い表情。
 彼女の心境は早月にも分かる。……ようするに母親以外の相手に耳掃除をされるのが、なんとなく怖いのだ。
 いつもなら「早月ーっ、耳掃除やってくれー」とか自分から言ってきそうな美優が、今回消極的なのはそれが理由に違いない。
 やれやれ、と思わず早月は苦笑い。
 泣いてる子供にはキャンディーと笑顔。
 機嫌の悪いお隣さんをなだめるには、たった一言の魔法があればいい。
「これが終ったら、ミルクティーいれてやるから」
 ぴくっと耳が過剰反応。どうやら心の中で葛藤してる模様。
 早くミルクティー飲みたい派と、惑わされるなの知性派対決。
 はてさて、その結果はいかに。
「……うぅー、わかったよう」
 ま、賭けにもなりませんでした。
 うーうーと唸っていたお隣さんも、とうとう観念したのかよろよろベッドに向かいます。
 そして、
 ぼふっと。
 ダイレクトに、早月の膝の上に頭が来るようベッドにダイブしてきた。
「……あのなぁ」
 すぐ傍に、お隣さんの顔がある。
 すぐ近くに、お隣さんの匂いを感じる。
 いつもの互いの距離よりも、さらに近く。きっと家の距離なんて目じゃないほどに。
 ……ただまあ、頭の下にクッションを置くとか、そういう思考はないのかこの子は?
 今は自分の膝の上で、「く、くるならこーい!」と両目をぎゅっと力いっぱい閉じてその時を待っている、まな板の上の魚みたいなこのお隣さん。
 ズボンを通して触れる、美優(の頭)の温もりが直にある。さらさらと揺れる髪がある。な、なにー?とちょっと目をしばしばさせている美優の表情がある。
 目が合う。
 照れくさくはなかったが、ただちょっとだけ。
 綺麗な瞳だな、と思った。
 ――お互いに、そう思っていた。
「……じゃ、やるぞ」
「お、おう! いつでもこい!!」
 数秒後、早月の部屋に美優のくすぐったそうな悲鳴が響き渡った。


「……ふぅ。ほら、終わったぞ」
 両耳が終了した頃には、彼女の奇声は聞こえなくなっていた。
 というか見れば、身体を丸めてすぅすぅと寝息をたてている。
「……おいおい」
 いわゆる、膝枕をしている状態。膝の上には安らかな寝息をたてるお隣さん。最初はくすぐったそうな声を連発していたが、しだいに「うにゃあ」とか「うひゃー」とか小動物みたいな声に変わり、最後は寝息ときた。どうやらタイヘンご満悦だったらしい。
 余は満足じゃといわんばかりのお隣さんに、早月は嘆息交じりに苦笑する。
 年頃の二人。密着したこの状況。普通の高校生なら互いの顔も見れないほど恥ずかしい体勢のはず。
 なのに、やっぱり。
 ……こうなんだよなぁ。
 動けないので仕方なく寝顔を眺めつつ、そっと髪をすくってみた。
 さらさらで柔らかい、女の子の髪。
 ……女の子。それも同い年の。
 傍から見れば、二人はどのように見えるのだろうか。
 友達……とはちょっと違う。
 恋人、ではもちろんない。
 仲のいい男女かと聞かれれば、「そういえば女の子として意識したことはあんまりないなあ」と気付く。
 男同士の友情に近いのかというと全然違う。
 幼馴染、というには付き合いが短すぎる。
 そんな、お隣さん。そう、「お隣さん」なのだ。
 お隣さんだから年頃の異性の部屋に入り浸るし、
 お隣さんだから恥ずかしいマネも違和感なくできる。
 恋も愛も友情もない、ふたりだけの答え。認識。
 それは、きっと、
 世界でふたりしか知らない素敵。
 ……ま、いいか。
 けれどもまあ結局、これに落ち着いたりする。
 今のうちは、少なくとも。
 出来の悪い娘と、それを見守る父親のままで。
 ――ていうかさ。
 ふつー、立場逆じゃない?
「いいけどね……」
 お隣さんの頭を撫でる。それに応えるように、美優の口からむにゃむにゃと寝言が聞こえた気がした。




 今日も今日とて、お隣さん。
 ふたりの仲は、……今んところ、耳かきをしてあげる仲まで。





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