28? 二人の続き。 

 普段、俺は勉強机で勉強をしている。でも、母さんが「よいしょっ」とか言いながら持ってきたテーブルがドンと床に置かれたため、椅子が引き出せなくなってしまった。部屋は六畳。決して狭い訳じゃない。そんなに散らかってもいないし、物が多いわけでもない。
 ただ、テーブルがでかすぎる。何で三人家族の我が家に、こんなでかいテーブルが必要なのか。常々そう思っていたが、この時もそう思った。使った覚えもない。母さん、こんなデカ物をどこにしまっていたのか。不思議である。
「・・・」
「・・・」
 ・・・そんなことは、どうでも良い。摩訶不思議だが、今はどうでも良かった。
 その机の、向こうとこっち側。座った二人の中学生。これだけでぎゅうぎゅうの部屋。そして、ここは俺の部屋である。一体何が起こっているんだ。その方が、俺には疑問である。それに・・・。
 向かい合った彼女に、俺は嫌々声を掛けた。
「・・・何で、睨まれなきゃいけないわけ?」
「睨んでないもん」
 彼女はほっぺたを膨らませたまま、器用にそう言って顔を逸らした。お前、それが本当だったら目つき悪すぎるぞ。
 喉まで出かかったその言葉を無理矢理飲み込み、俺は大きなため息を付いた。そんなことを彼女と話していてもしょうがない。時間の無駄だ、と気付いて。
 そして、こうしていても仕方がないし時間がもったいないので勉強をしよう、と立ち上がってテキストを手に取った。他にすることもないし、第一彼女が居たらプライベートな用事も出来やしない。もう、勉強をするしかないのだ。しょうがない。これが母親達の狙い通りなのだろう。ナイスな作戦・・・と言えなくもないが、俺は一人でもちゃんと勉強しているんだけどなぁ・・・。
 と、思いながらノートと問題集を持って振り返った俺は、今度はまん丸い目をしている彼女にちょっと驚いた。
「・・・何?」
 面白い顔しているなぁ。それにしてもコロコロ変わるなぁ。そう思いながら実感する。見ていて飽きないとは、こういうことなのかも知れない、と。
 その飽きない彼女は伺うように肩を竦め、俺の手元を指さして言う。
「・・・そんな教科書、あったっけ?」
「教科書?」
 反芻して、彼女が言っている意味を理解した。ああ、これか。受験校対策用に買ったテキスト。
「違うよ。問題集」
「見して見して」
 何に、そんな興味があるのか。さっきまでとは全然違う笑顔で、彼女はそう言った。そして器用に膝でぴょんぴょんしながら両手を出すから、そこにテキストを乗せてやる。
 すると彼女、乗り出していた体を戻し、机の上に肘を着くとそれを捲った。問題集だと言っているのに、どうしてそんなに楽しそうなのか理解出来ない。ただの本なのに、どうしてそんなに一生懸命捲るのかも分からない。例えてみるなら、オモチャを貰った子供みたいにそれに夢中な感じ。でも、実際は中学生と問題集。うーん。
 そう思いながら、俺はそれを見ていた。ぺらりぺらり。自分だったら、こんなに音が立たないだろうなぁと思う程音を立てて、彼女はページを捲る。ぺらり。ぺらぺらり。一枚ずつ、何故か一生懸命めくる。ぺらぺらぺらぺら・・・ぺらり。ぺらり・・・ぺらり。
 ・・・ぺら・・・・・・ぺら。・・・・・・・・・・ぺら。
 何故か、その速度は段々遅くなる。
「・・・」
 もし、俺だけを見ている人が居たら、元々下を向いていた筈のその視線が、更に僅かずつ下がっていくのが見えただろう。
 彼女は既に座った状態から、どんどん机に溶け込むように脱力していった。そして、最後は机に突っ伏してしまう。器用だ。ある意味器用だ。
「? 何? どうかした?」
 意味不明。そう思いながら声を掛けてみる。
「うう・・・」
 溶けて机に流れてしまいそうなほど脱力していた彼女は、その呼びかけ(?)にフラフラとしながら泣きそうな顔を上げる。
 そして何かを口にした。しかし、そのままでは「ほにゃらら・・・」としか聞こえない。
「?」
 耳を近付けると、彼女はもう一度「ほにゃらら」と言った。・・・分からない。
 首を傾げたら、彼女はもう一度瀕死の状態で言う。ほにゃららら。・・・うーん。分からない。もう一度首を傾げたら、もう一度ほにゃらららら。三、四回度はこれを繰り返しただろう。二人共、よく飽きなかったものである。後から思えば。
 そしてやがて、やっと聞き取ることが出来たと思ったら俺が受ける高校の名前だった。取り敢えず理解の証に「ああ」と頷くと、再び彼女は机に俯せて、くぐもった声でこう言う。
「そんなにレベルの高い学校だっけ?」
 うん? ・・・あれ? と思う。もしかして。
「お前も・・・そこ受けるの?」
 俺は、俯せたままの彼女を指さして言った。
 しかし、そんなものは彼女、見てやしない。うんうん。えぐえぐ。半べそを掻きながら、机に俯せながら、彼女は何度も頷いた。ははぁ。と思う。成る程納得。
 俺は頷きながら彼女の向かいに再び座って、助け船を出してやる。
「俺は理系選抜狙いだけどね」
 そう言った途端。
「・・・」
 ピタッ、と震えていた肩が止まり、彼女が泣き止んだ。嘘泣きか? と思うくらい、ピタッと。
 でも、どうやら本泣きだったらしい。顔を上げ、ゴシゴシと目を擦ってから彼女は言った。
「じゃあ・・・これ、出来なくても大丈夫・・・だよね?」
「文系はな」
「・・・」
 ふにゃ。もし、その表情に音が付けられたら、きっとそう聞こえたに違いない。良くそんなに緩んだ表情が出来るものだ。そう思う。
 それを見ていたら、何だろう。笑ってしまった。余りにも、素直だなぁと思って。分かり易いなぁと思って。そう、正に見ていて飽きない、彼女。
「・・・でも・・・」
 この時僅かに生まれた、小さな感情。後から思えば、気付かなかったけどこの時生まれていたんだろう、僅かな感情。それがずっとずっと曖昧なままだとは、勿論この時は思いもしない。ただ、分かったのは「からかってやろう」という、自分にしては珍しい感情だけ。
「文系は理系よりも、倍率高いから大変だよな」
「う・・・っ」
 面白い。本当に過敏に反応する。瞬時に泣きそうな顔をした彼女を、更にからかってみる。
「去年は何倍だっけ? 三倍だっけ?」
 同じ学校、でも別の学部。知っているようで知らない、これがお互いの現実。
 そう。たった今判明した事実だが、彼女は俺と同じ高校を狙っているらしい。その高校は創立四年目。新設校で当然綺麗だし、評判も上々。留学や研究制度も充実していて、瞬く間に人気校となった。よって、希望者は年々増え続けている。
 ちなみに理系は、去年倍率二倍以上。付属大学の他に、珍しいことだが他大学の援助も受けられると言うことで、今かなり注目を集めている。特に高校から専攻授業が選べるという制度は、言うまでもなく人気の秘密の一つだ。
 しかし、それ以上に文系には人が集まる。広く綺麗な校舎。熱心な部活動。付属の大学。それだけでも人を呼べるだけの魅力があると言うことなのだろう。理系の方が「合格」は難しい。けれど文系は倍率が高い。どっちもどっち。受験生にとっては有り難くない話だ。
「四倍・・・」
 と、消え入りそうな彼女の声が聞こえてきた。今度は落ち込んでいるらしい。ガックリと肩を落として、暗い空気を背負っている。落ち込むのは勝手だが、俺の部屋で変な物を出さないで欲しい。
 そう思っていたら、彼女はこんな事も言う。
「先生が・・・ギリギリだってー・・・」
 聞いてもいないのに、そんなことを言うか? 普通。
 そう思っていた俺に、テキストを追いやりながら彼女は言った。
「どうしたら良いと思うー!?」
 おいおい。人生相談が始まっちゃったよ。俺は相談員か。
 っていうか、分かり切ったことを聞くな。そう思いながら答えてやった。
「勉強」
 彼女はその言葉にぴくっと反応して、それからまじまじと俺の顔を見る。お? 何だ? そう思った俺に一言。
「・・・やだ」
「お前、アホだろ」
「アホって言うな! こんな時期に!」
 神経質になってるのよ。繊細なのよ。あたし。この大切な時期に、ナーバスになっちゃってるのよぅーっ。と、ブツブツ何かを呟いている彼女に、俺は正当な一言を告げた。
「その『この時期』に、勉強を『やだ』の一言でやらないヤツは、かなり図太い人間だと思うぞ」
「太ってないもん!!」
 ・・・うーん。信じられない回答。
「お前・・・図太いの意味も分からないなら文系なんか行くな」
「理系は、もっと駄目なのーっ!」
 アホだ。こいつ、絶対アホだ。
 そう思いながらも、何だか可笑しくて俺は笑った。言ってることが無茶苦茶だ。あり得ないくらい、無茶苦茶だ。
「笑うなー!」
 机に突っ伏して落ち込んだまま、彼女はそう怒って足をバタバタさせる。行動も無茶苦茶。所謂子供でも、ここまで無茶苦茶じゃない位、無茶苦茶である。
「じゃあ、しないの? 勉強」
 笑いすぎて痛い腹を押さえながら、俺は聞いてみた。彼女は足を止め、泣きそうな顔を上げる。
「・・・うー・・・うーーーん・・・・」
 苦悩。・・・しているらしい。どうしてかそんなに深刻には見えないが、彼女なりに苦悩・・・? しているらしい。取り合えず、やらなきゃいけないことは分かってるって事だ。ま、そりゃそうだろう。
「・・・うー・・・」
 そして彼女は、本当に泣くんじゃないかと思うくらい顔を歪めて、しつこく何度も何度も唸って。
 ・・・で、結局、持ってきていた鞄の中から教科書を取り出した。
 しかしそれがまた、ぎこちない動作。教科書を出すのが嫌なのか。じたばたし過ぎて疲れたのか。理由は何にせよ、カクカクしてロボットみたいにおかしな動きをする。
 その仕草が、またやたらに可笑しいんだ。彼女は何かが可笑しい。どっかが可笑しい。むしろ全てが可笑しい。
「笑うなーっ!!」
 顔を逸らすも、肩の震えに気が付いたらしい。彼女はシャーペンを握りしめて、やけくその様にそう叫んだ。





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