そもそも、どうして休日に二人で出掛けることになったかというと、美優の両親が結婚記念日だったからである。昨日。
 そして土曜日の夜。「明日は両親の結婚記念日である」と、重々しく呟いたのは、お隣さん。全てはここから始まった。
「でね。早月さん」
「・・・」
 妙な呼ばれ方に、内容を確認する前から嫌な予感しかしない。
 なので、返事をせずに早月は美優の話を聞いた。机に対し、体を九十度傾けて。
 つまり、お勤めが終わった直後のこと。そして、次のお勤めの開始である。
「お祝いをしたいと思っているのです」
「・・・すれば?」
 勝手にすれば。そういう気持ちをこれでもかと押し出して、早月は棒読みでやっと答えた。
「でね。ケーキなんぞを買いに行こうと思っているのです」
「・・・行けば?」
「でね。数少ないケーキを食べる機会を無駄にはしたくないので、色々、調べたんです」
「・・・」
 はぁ、そうですか。と、答えるのも面倒になって早月が黙っていると、美優は何語か分からない言葉を呟く。
「・・・を知っているかね?」
「・・・何を?」
「だからケーキ屋さん」
「・・・今のは店の名前か」
「そう。知っているかね」
「店の名前であることも分からなかったのに知ってるわけないだろ」
「だよね。遠いからね。電車乗り継いで片道一時間くらいかかるからね。おまけに個人店だし。一店舗しかないし」
「・・・」
 へー。と呟き、段々話が読めてきたので早月は立ち上がりながら呟く。
「気を付けて行ってこいよ」
「無理」
 そう言って、美優は早月の足にしがみ付いた。「あぶねっ」という、早月の素の感情は相変わらず素通りである。
「一人じゃ行けない」
「じゃあ、諦めろ」
「やだ。もう買うケーキも決めた」
「だったら頑張って行ってこいよ」
「最寄の駅から徒歩十五分かかるんだって」
「へー」
「地図読めない」
「・・・」
 この瞬間「絶句」という状況を、割と正確に体験した早月であった。今まで色々あったけど、こんな風に言葉が詰まることは余り無かったように思う。
 しかし早月の名誉(?)の為に詳細を説明すると、この時は決して、美優に言い負けたわけではなかった。
「何で場所から店を選ばないのか」
「何で行けないと分かっている店のケーキを選ぶのか」
「何でもっと効率よく・・・云々」
 言いたいことは幾らでもある。正直、美優を言い負かすのなんか、小学生の算数よりも簡単である。
 しかし、だからといって、それをした結果、行かなくて済むかといえば多分そういうわけでもない。結局、連れて行くことになる。結局、そうなるのだ。
 それを考えると、美優を言い負かしている時間も労力も勿体無い。面倒臭い。それに、美優は全然堪えないに違いないし。
 そんな結論に一瞬で達してしまい、言葉を失った次第。頭が回り過ぎるのも考えものである。



 そんなわけで。ケーキを買いに遠路はるばる往復二時間ほど掛けて行って来たわけですが。



「だって、早月と出掛けるの、すごい久し振りだし。ケーキだし。服とか選んでたら前の日寝るのが遅くなっちゃって、おまけに興奮して全然寝れなくって。とにかく、すごく楽しみにしてたし、結局楽しかったんだけど、寝不足だったんだよぉー」
「・・・は?」
 ひーん。という泣き声を洩らしながら膝にしがみ付いてきたお隣さんを見て、早月はまたしても絶句した。何この子。と、思う。意味が分からない。
 勉強が終わって、椅子を引いた直後のこと。このタイミングでこんな事をしてくるなんて、一体いつからスタンバっていたのか。
 さて、ぴーぴー泣き続ける美優をどうしたもんかと思いつつ、とりあえず重いので襟首辺りを摘んで自分の足から剥がし、顔を覗き込んで問うた。
「話が全然分からない。何言ってんの?」
「き、今日・・・尋ちゃんと康子ちゃんがー」
 ひっくひっく肩を震わせながら、美優は事の成り行きを説明する。
 聞き終わって「・・・あー。そう」としか返事のしようが無い早月。見られていたことや褒められたことへの照れや恥ずかしさを感じることも無い、最早お爺ちゃん・・・というか、目の前の割と本気で泣いているお隣さんのせいで、それどころじゃない早月。毎度の話だが、暢気に照れたりする精神的余裕を、たまには与えて下さいお願いだから。
「・・・もー・・・」
 話を聞き終わって何ともし難い状況に、早月は思わずため息をついた。そして、正直に呆れた顔をして呟く。
「別に何とも思ってないし。っていうか、お前は遠足前の小学生かっつーの」
「だってー・・・」
 尋ちゃんと康子ちゃんがー。と、美優はエンドレスで繰り返している。
 どんだけ怒られたんだ。と思い、あの二人も大変だな。と、余り面識の無い二人を労ってから、早月は立ち上がって美優を見下ろして言った。
「もう良いから。っていうか、お前が反省して泣けば泣くほど、俺の立場が悪くなるのも理解してくれ」
 ホント、頼むから。と、美優の頭をペット感覚でわしゃわしゃ撫でつつ、何だか理不尽さを感じながらお願いをして、早月は部屋を出て行った。


「ほれ」
 十数分後、早月は「いつもの」をお盆に載せて帰ってきた。そして、美優にそれを渡すと、美優はしゅんとした顔のまま、両手でそれを受け取って礼を呟く。
「ありがと・・・」
「あと、これ」
 ほれ。と、白い皿を渡すと、美優は不思議そうにそれを見て「あれ?」と呟いた。
「これ、早月んちに上げたのじゃん。食べなかったの?」
 実は昨日、美優は早月にもケーキをこっそり買っていた。自分の家に買ったものとは違う、フルーツが沢山入った、綺麗なロールケーキ。お店まで連れて行ってもらったし、素直には言えないけれどいつも感謝しているし、おじさんとおばさんにも食べて欲しいから。と、家の前でケーキの袋を受け取った時に渡したのだった。
「食べたけど、お前・・・」
 呆れた顔をして早月は呟く。自分で買ったんだから知ってるだろうが。と。
「丸々一本、三人家族で即日消費できるかよ。それに、母さんが『明日美優ちゃんが来た時に出して上げてね』って言うから・・・」
「・・・」
 うる。
 おばさーん。と遠吠えしつつ、ケーキ片手においおい泣き出した美優から皿を奪い取り「泣くなっつーの! 落としたら誰が掃除すんだ!」と、叫ぶ早月。
 そしてその瞬間、お隣さんの部屋は躾教室と化した。
「お前が反省したり泣くのは勝手だけど、俺に迷惑かけるなよ!」
「だってー。だってぇええぇえー」
 尋ちゃんと康子ちゃんがー。
 今日のお隣さんは、これしか言わない。一体どれだけ怒られたのか。有難いような、有難迷惑のような。
 むむう。と、唸った早月は、やがて一つの結論に達した。よし。と、気を入れなおしてお盆を机に置くと、美優の前に座って目線を合わせる。
「・・・あのな」
 そう言えば、小さい子に対面する時は目線を合わせましょうって、どっかのテレビで言っていたな。なんて、いつの記憶だか分からないことを思い出しながら早月はとりあえず静かになった美優に言う。
「俺、全然怒ってないから」
「・・・」
 ううー。と、それでも泣きそうな美優に言う。
「全然、何とも思ってないから」
「・・・ホントですか?」
「ホントです」
「・・・」
 そう言われて、美優は照れているのか何なのか、頬を染めた顔を逸らしてこんな事を言う。
「でも、尋ちゃんと康子ちゃんが『絶対早月君、呆れてるよー』とか『怒ってるかもよー』とか『もう買い物連れてってくれないかもよー』とか『ワガママ言いすぎたなー。これはマズイよー』とか・・・」
 あれもこれもそれも言われた。と、美優は延々呟いている。それであんなにしつこく・・・基、気にしていたのか。と、やっと早月は理解する。完全にからかわれてるだけなのに、そんなの間に受けちゃってもー。
 っていうか、そんな事を瞬時に覚える脳みそがあるなら他の事を覚えればいいのに。と思いながら、早月は頭を抱えたいのを堪えて言った。
「大丈夫だから。気にしてないから。全然。これっぽっちも」
 そもそも別に予想外でもなんでもないし。という気持ちが、ちゃんと伝わったのか。
「・・・ホント?」
 と、美優がやっと落ち着いて呟く。
「ホント」
「・・・」
 そう言ったら、美優はまた顔を逸らして俯く。笑っちゃいそうなのを隠そうとしているのか、口をモゴモゴさせて堪えている。
「分かった?」
 そう聞くと、美優はその顔を隠すように頷く。
「じゃあ、さっさとこれ食べて機嫌直せよ」
 そう言ってさっき取り上げたケーキを渡すと、美優は我慢出来なかったのか、肩を竦めて笑った。
「いただきますです」
「はいどーぞ」
 そんなこんなで、今日も高校生にはまだあまり必要ではないはずの子育てスキルが上がった早月なのであった。

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